仁太郎と常世の未来は・・・。昭和オトメ御伽話の感想を書いてみた!!!

第三十五話「輝ク決意」
血を吐いて寝込む常世には、結核の疑いがあった。そこで、リゼが連れてきた医者に診療してもらうことに。

第三十六話「御伽話ノ幕ハ」
常世は結核を治す為に隔離され、白鳥策や珠子の指導の元で長い療養生活が始まった。

第三十七話「死ヲ見ツメテ」
療養生活が始まり2年が経とうとしていたが、常世の結核は一進一退を繰り返していた。いつ死ぬか分からないその状況に、彼女の精神は確実に消耗していて・・・。

第三十八話「本当ニ云イタイコト」
一緒に死のうと言う仁太郎に対して、彼に生きて欲しいと返す常世。2人の互いを想う言葉がぶつかり合う。

第三十九話「死ヌ時ハ一緒」
仁太郎は徴兵検査を受け、現役兵として2年の服役を受けることになった。その為に彼は徴兵前に、常世と結婚式を挙げる。

第四十話「仁太帰ル」
常世の周りにも戦争の暗い影が近づいていた。そして・・・。

第四十一話「常世語リ」
仁太郎が死んだことを知り常世は・・・。

最終話「常世ノ御伽話」
戦争が終わり、少しずつ日常が戻りゆく中で常世は・・・。

特別編「続キユク御伽話」
第5巻の描き下ろしエピソードであり、最終話のその後が描かれている。

本来その日は別の記事を更新する予定だったが、急遽この記事に差し替える事にした。何故なら2020年5月12日は、昭和オトメ御伽話最終話の更新日だからである。だから筆者はこうしてはやる気持ちを抑えて、本作の感想を書いていこうという気分なのである。

最終話を読んで素直に心に残ったことは、「すっきりしないモヤモヤ」だった。多分、この作品を自分の中で面白いものとして人に勧めることは出来ない、というのが自分の中での正直な感想である。

本作の連載告知が発表された時、筆者は完全新作の話だと思っていた。だが、第一話を読んだ時にまるっきりそうではないという予感を抱き、勝手ながら残念に感じたのは事実である。

(中略)

本作が前作とは別物だろうと筆者が思っていた理由として、2つの作品の雰囲気の違いがある。大正処女御伽話は基本的には、珠彦とユヅの関係が深まっていく過程を明るめに描いていた。だが、本作では適度に明るい描写がありつつも、どちらかというとシリアスな話になっている。この温度差がある両者を敢えて繋げた理由は、作者以外には今の所分からない。しかし、筆者としては寧ろ其処をきちんとした意味あるものとして、桐丘さな氏がどう描いていくのか非常に興味は尽きない。

桐丘さなの最新作、昭和オトメ御伽話の感想を書いてみた!!!-或訓練された信者の一生より引用

本作の連載が始まった頃に筆者は上記のことを書いていたが、最終話を読んだ後も筆者の中では踏ん切りがイマイチつかないのである。本作を大正処女御伽話の続編としてやる必要が、やっぱりよく分からなかったというのが本当の所である。

勿論、筆者も前作の登場人物のその後を知ることが出来るのを、本作の楽しみの1つにしていたことは否定しない。特に、第十六話での前作の主役が今作の主役にバトンを渡すような話は今でも良かったと思っている。

だから、彼女達に続いて仁太郎もまた、何処かの機会で珠彦からバトンを託される場面がある事を期待していた。それがあればユヅ達を再登場させた意義がある事を、少なくとも筆者は自分なりに納得出来たと思う。しかし、そのような場面を最後迄見られなかった事が、筆者にとって非常に残念な事だった。珠彦を何故表舞台に出さなかったのかについては、筆者にとって疑問に残る事の1つである。

それ以上に筆者が本作を楽しめなかったのは、やはり前作より濃度の高いシリアスな展開とストーリーである。元々暗い展開は不得手なのもあり、常世が結核に罹って以降は若干読むのがきつかった。前作でも関東大震災という理不尽な展開があったが、ついていくどころか展開が気になって早く続きを読みたくなるぐらいだった。

本作でも常世と仁太郎の成長自体は描かれていたとは思う。だが、それ以上に彼等を襲う試練や壁の描き方が重すぎて、彼等の成長具合の見せ方が霞んでしまっていたように、筆者は感じる。だから彼等に感情移入する事を、悪い意味で自分の中で拒絶してしまったのかもしれない。

そして、仁太郎が帰ってきたのは筆者も良かったことだとは思っている。だが、彼の左腕が無くなっているのを見つけた時、筆者は右腕が動かない珠彦や声を失った十真を、彼に重ねてしまった。主役の身体の欠損を最終話でやってしまったことが、なんとなく自分には後味の悪さとモヤモヤしたものを、残さざるを得なかったのである。

あくまで筆者個人の感想なので、本作を良作という意見もあっていいとは思う。だが、筆者がこの作品にのめり込むことが出来なかったというのは事実であり、せめてその理由ぐらいはきちんと自分の言葉にしようと思った次第である。

とは言え、最後の最後に常世と仁太郎は生きて再び会うことが出来た。もう2人が離れ離れにならなければいいなと、心から思う。

そして、月刊から隔週へと連載ペースが上がった中で、こうして作品を完結させた桐丘さなに賛辞を贈りたいと思う。前作と今作の5巻ずつで合わせて10巻という、丁度良い巻数で終わらせた点には本当に敬意を表したいと思う。そして、今度は桐丘さなの新たな完全新作を期待して、しばし続報を気長に待つ所存である。

追記

昭和オトメ御伽話の最終第5巻が今日、発売された。筆者は早く読みたくて迷わず電子版を買った。連載を追っていた人達が望んでいたのはやはり、特別編の「続キユク御伽話」だろう。筆者もその1人であり、ダウンロードして真っ先にそれを読んだ。

一応名目上は特別編となっているものの、実質これが真の最終回であると言っても過言ではないだろう。一部では、常世と仁太郎が実は死んでいてあの世で再会したとか、何とも言えない感想が飛び交っていたが、2人がちゃんと生きていることがこの話を読めば明白である。

19頁に及ぶ描き下ろしである特別編は、それまでの常世と仁太郎の歩みを読んできた人達なら恐らく満足出来る話であると思う。成長して大人になった月彦とリゼが登場したり、常世と仁太郎の間に子供が出来たりと、次の世代へとまた御伽話が受け継がれるのだろう。

恐らく最初から単行本を買って読んできた読者なら、割と最後迄すっきりと読む事が出来ると思う。連載を追って読んできた筆者はちょっと感じ方が異なっていて、特別編が綺麗にまとまっていたからこそ、連載時にそれをやって欲しかったという気持ちが正直ある。

単行本を買わせる為にワザと最終回を中途半端な感じにした、とは言わないもののそれに近いものを感じたのも事実ではある。しかし、それはそれとして昭和オトメ御伽話を人に勧める気持ちが、以前より強くなったのは確かである。

恐らく桐丘さなの新作発表迄、多少の間はあると思う。もし大正処女御伽話と昭和オトメ御伽話を読んで余裕があるならば、是非他の作品も読んで頂きたい。きっと時間の無駄にはならない筈である。

初稿:2020年5月12日
第2稿:2020年7月3日

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