
今回は桐丘さなの同人作品「トリコトナリテ 0→6 総集編」の感想を書いていく。本書の初出は2017年11月23日のコミティア122であり、同時発売として「大正オトメ オトギバナシ アンコォル」という同人誌も別に刊行されている。
筆者は、後日取り扱いが始まったとらのあなの通販で本書を購入した。その時に特典で付いてきたのが、冒頭の写真にも写っている描き下ろしの六花が居るクリアファイルである。
本書は、六花の描き下ろしイラストが表紙と1頁目(カラー絵)に扉絵に収録されている。また、裏表紙の十真や、登場人物紹介のイラストも描き下ろしとなっている。他にも歴代の表紙を収録した「表紙コレクション」が、カラーページとして載っていて総集編の名に恥じない内容となっている。
トリコトナリテ (プロトタイプ) [初出:2010年10月17日 関西コミティア37]
狼士として町を守る狼の十真は、兎の六花という幼妻と暮らしていた。訳あって声を出すことが出来ない彼は、身振り手振りや愛撫など言葉以外のコミュニケーションで、彼女に自らの愛を伝える。
トリコトナリテ 1 (初出:2011年2月11日 コミティア95)
十真と六花が暮らす十二神国は、人間の存在を許さない世界である。一方、六花の妊娠疑惑が浮上したり、十真に弟子入りしようとする犬の四乃が現れる。
トリコトナリテ 2 (初出:2011年5月5日 コミティア96)
十真の元に現れた猫の四四華の報せを聞き、真っ先に彼は六花が寝ている我が家へと駆けていく。自分に取り柄が無い事に悩む六花は、十真に相談するが・・・。
トリコトナリテ 3 (初出:2011年8月21日 コミティア97)
今迄六花にプレゼントをした事が無いのを、四四華と千芭に驚かれてしまった十真は、これをきっかけに初めての贈り物しようとするが・・・。狼士として予防接種を受ける義務がある十真が、何故か注射を強く拒む。その原因が、彼の過去の大怪我に起因している事を知った六花は、ある秘策を立てる。
トリコトナリテ (番外編) [初出:2011年10月30日]
冬、仕事から帰宅した十真は六花が長ズボンを履いている事にショックを受けて・・・。
トリコトナリテ 4 (初出:2012年5月5日 コミティア100)
怪しい風貌の男を見つけた十真と千芭は、彼を猫神神社に連れていく。其処で彼が「人間」である事が分かり、神主である五瑠と国有神の九迄もが、その場に現れる。
トリコトナリテ 5 (初出:2012年9月2日 コミティア101)
夜に九が散歩していると、2人組の虚無僧が現れて彼女を攫おうとする。しかも、その場に偶々居合わせてしまった六花と四乃も巻き込まれてしまい・・・。
トリコトナリテ 新春絵物語 (初出:2013年2月3日)
十真、六花、七月の3人はお茶菓子をかけて、にらめっこで勝負する。
トリコトナリテ 6 (初出:2013年5月5日 コミティア104)
六花は、四四華と七月が働いている店でバイトをしたい旨を、十真に頼み込む。
本作は名実共に、桐丘さなの代表作である「大正処女御伽話」や「昭和オトメ御伽話」以前に、発表された漫画作品である。恐らく筆者のように、上述した作品から桐丘さなを知った訓練された信者ならば、本作を初めて知ったという方も多い筈である。
此処でメインに描かれているのは六花と十真、2人の若い夫婦生活である。彼等の日常的なやり取りも微笑ましいが、作品形態が同人という事もあり、彼等の「夫婦の営み」も色濃く描かれている。
十真は声を出せない為に、人と意思疎通を取る事が難しい。普段から慣れ親しんでいる人達なら兎も角、狼としての性分を持ち合わせている故、冷淡な人物と誤解されるのもままならない。だから、彼にとって六花との身体的コミュニケーションは、言葉を使わずに愛情表現をするに最適な方法なのである。・・・只のムッツリスケベなだけかもしれないが。
普段は筆談を使い不自由を感じさせない風に見える十真だが、感情が高ぶったりふと気がゆるむ無意識下では、声にならない声を出す事がある。やはり心の何処かでは、自分の言葉で想いを伝える事に未練があるのだろうか。筆者は彼のそういう所に、いじらしさを覚えてしまうのである。
狼士として働く十真を支える六花は、自身の身分である兎に相応しく可愛らしい容姿と、彼への献身的な愛情を持っている女の子である。彼女自身は自分を未熟者と思っているが、十真にとっては彼女が傍にいてくれる事が肝要である。しかしながら、六花が自分の理想とする嫁を目指し、日々精進する姿を見守るのも、彼の癒しであり思いやりなのである。
彼等が住む十二神国では、我々のような「人間」は居てはいけない場所であり、忌み嫌われている節さえある。狼士による人間への死刑のやり方や五瑠と九の台詞から、人間に対する敵対心は相当に根深いものと、推測出来る。この辺りの暗澹とした描き方は、「昭和オトメ御伽話」でも遺憾なく発揮され、筆者としては彼等に対する壁のようなものを感じ、複雑な気持ちを抱いた。
本編のストーリーの進み方は、その時の描きたい場面や話を重視したライブ感のある展開になっていて、普段我々が慣れ親しんでいる商業漫画とは、一線を画した趣きを感じられる。加えて本編の登場人物とは別に、自らを背景と称する謎のキャラクターが作品の至る所に存在している。本編とは独立して動いている彼を探してみるのも、トリコトナリテの隠れた楽しみ方かもしれない。
正直に言うと筆者としては、本作の続きを読んでみたい気持ちがある。所々にこれから描く伏線らしきものが残っている事や、今の絵柄と連載を経て培った構成力で「トリコトナリテ」がどう描かれるか、という期待がある。特に桐丘さなも完結させたと言及している訳では無い以上、続きが描かれるという可能性も捨てきれはしないだろう。
また、現役で活躍しているプロの漫画家の、デビュー以前の作品を読めるというだけでも一読の価値があると思う。自由に描ける同人だからこそ、如実に現れるその作者の持ち味や、荒削りでもその時だけしか出せない絵の雰囲気を味わえるのも、本作のような作品で味わえる魅力である。
桐丘さなの描く作品の源流を辿る一品として、はたまた貴重なコレクターズアイテムの1つとして、本書を読む事を筆者は此処にお勧めしたい次第である。