桐丘さなの最新作、昭和オトメ御伽話の感想を書いてみた!!!

昭和オトメ御伽話は桐丘さなによって、2018年8月21日から少年ジャンプ+で連載されている漫画である。2018年12月11日現在、第八話と3頁の番外編迄が公開されていて、全話読む事が出来る。最近の桐丘さな氏のツイートから、コミックス第1巻の発売が近くなっていることを受けて、筆者の現時点での感想を纏めてみた。

第一話「カラタチノ姫」
昭和三年、14歳の仁太郎と12歳の常世が離れ離れになってしまう迄の顛末が、仁太郎視点で描かれている。それまで仲の悪い両親よりも慕っていたおじいを 亡くしてしまった仁太郎にとって、常世はこの世で1番大切な女の子だった。だからこそ常世に暴力をふるった彼女の母親に刀を向けることに、仁太郎は全く躊躇しなかったのである。おじいの葬式での仁太郎の行動も踏まえると、彼は自らの大切な人を想う気持ちが強いあまり、それが少々過剰な行動となって現れてしまうのは、仁太郎の良い所であり悪い所でもあるのかもしれない。一方、母親から虐げられる生活を送っている常世にとっても、仁太郎だけが唯一の心の拠り所だった。「互いの存在に生きる意味を見出している」というほどに彼等はお互いを想い合っているのである。そういう意味で、仁太郎と常世は合わせ鏡のような存在である。

第ニ話「三年ノ月日」
3年後、仁太郎に再会する迄の常世の生活の一端が描かれている。仁太郎が居なくなった後の常世が生きる世界は、本質的には何も変わっていなかった。序盤の、ラジオから流れるプッチーニの「ある晴れた日に」と共に垣間見えた、華やかそうな常世の日常。他者からはそう見えても、常世自身にとっては光が消えてしまった暗闇のような地獄だった。この辺りの演出は流石としか言いようがない。

第三話「姫ト悪魔」
再会した仁太郎は、常世の目にはすっかり悪魔のような性格の人間として映っていた。「仁太郎なら今の自分を救ってくれるかもしれない」、そんな淡い希望を打ち砕かれた常世だが、だからこそ自分も今のままでは居られない事を悟る。

第四話「忍ビ込ンダ悪魔」
この回から登場人物が増え、物語が大きく動き始める。仁太郎との再会を経て変わろうとする常世だが、そう簡単にいかない現実と向き合う事になる。また、昔と比べてまるっきり変わってしまったかのように見えた仁太郎の、腹の底が一瞬垣間見える。この回のサブタイトルにある「悪魔」は、恐らくこの物語でもいずれ災厄をもたらすのかもしれない。

第五話「変ワラズノ姫」
「仁太郎を信じる」、その気持ちだけは変わらないようと決意を新たにした常世。仁太郎に向けたその笑顔は、以前の後ろ向きな気持ちで一杯だったと常世とは違う、輝きに満ちていた。仁太郎もまた、その言動と行動の端々に昔と変わらない常世への想いが見え隠れしていた。

第六話「仁太郎倒レル」
何故、仁太郎は常世を自分から遠ざけようとするのか、その原因が少しずつ浮き彫りになっていく。昔、風邪をひいていた時と似たような状況で、仁太郎の常世へ言う言葉が、何処か哀しみを感じさせるように響いている。

第七話「真心ヲ仁太ニ」
常世とリゼの看病を受け、少しだけ笑顔とほぐれた態度を見せる仁太郎。しかし、その奥底にある本心はまだ頑なに閉ざされている。常世は仁太郎の看病を通して、リゼと少しだけ打ち解ける。

第八話「珠子ノ矜持」
常世が登場しない初めての回だが、その代わりに仁太郎と珠子に焦点が当てられている。

番外編
敢えて述べません。

ジャンプSQ.掲載話
後日、追記。

桐丘さなの作品の魅力を考える時、筆者としては魅力的で可愛い女の子のキャラデザよりも何より、その現実味を帯びていて且つ芯のあるストーリーとそれをきちんと引き立たせる演出や登場人物の巧みな心理描写を推したいと思っている。例えば、常世を虐める母親の言動や行動は、嫌になるほどに生々しい。また、第一話から第二話における仁太郎の豹変ぶりを描いた描写は、本当に読者にとっての仁太郎の印象を落とすぐらいに見事な落差具合である。一方で、第四話の常世が仁太郎に心中を告白する場面や、仁太郎にお粥を褒められて喜ぶ常世の描写など、読者を感動させたりほっこりさせる描写も素晴らしい。ストーリーやその時代設定も相まって、まるで漫画なのに小説を読んでいるかのような気分になってくるのである。また、各話の引き所もしっかりしていて、次話を早く読みたい気分にさせてくれるほどにニクイのである。

此処迄、筆者はある事に意図的に触れないようにしてきた。それは前作、大正処女御伽話との関わりである。本作の連載告知が発表された時、筆者は完全新作の話だと思っていた。だが、第一話を読んだ時にまるっきりそうではないという予感を抱き、勝手ながら残念に感じたのは事実である。前作との繋がりを示すような描写が所々に散りばめられていたのは一種のファンサービス程度だと思っていたのだが、珠子が出てきた時点で確信に変わった。本作は前作と地続きの位置にあると。

正直に言ってしまうと、前作を読んでおいた方が本作に対する理解が深まるのは事実である。だが、本作で初めて桐丘さなの作品に触れるかもしれない人の為に、敢えて仁太郎と常世に絞った感想を書いてみた。こうしてみると改めて、やはり本作のメインは仁太郎と常世の関係だと思う。だからそこだけに注目してみると、前作を必読しなくてもいいかもしれない。ただ、前作を読んでも損にはならないと言うだけの話である。それは読者の判断に委ねるしかない。

本作が前作とは別物だろうと筆者が思っていた理由として、2つの作品の雰囲気の違いがある。大正処女御伽話は基本的には、珠彦とユヅの関係が深まっていく過程を明るめに描いていた。だが、本作では適度に明るい描写がありつつも、どちらかというとシリアスな話になっている。この温度差がある両者を敢えて繋げた理由は、作者以外には今の所分からない。しかし、筆者としては寧ろ其処をきちんとした意味あるものとして、桐丘さな氏がどう描いていくのか非常に興味は尽きない。

これからの物語の気になる点としては、やはり常世と離れ離れになった3年の間に仁太郎に何があったのか、だろう。また、第一話の扉絵に居たまだ見ぬ3人目の女性の正体も気になる。仁太郎と常世、2人の行き着く先は何処か、まだまだ昭和オトメ御伽話から目が離せない。

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