2021年からツイキャスで顔出し配信を始めた筆者にとって、非常に悩んでいる問題が1つある。それは配信におけるコメントが少ない事である。
毎日かかさず配信を始めてやっと半年足らず。まだまだ知名度低い筆者の配信枠である以上、コメントの少なさというのはある程度、仕方のないものではあるかもしれない。しかし、それにしても最近のROM専や潜りの頑としてコメントを書かない姿勢には、嫌というほど苦労させられている。
基本的にコメントは配信において必要なものだと思っている。コメントが流れている配信とそうでないものを比較した時に、より盛り上がっているように見えるのは勿論前者である。そして、そういう配信にこそ人は集まりやすいきらいがある。筆者は今の所ツイキャスでしか配信をしていないので、YouTubeやニコ生といった他の配信サイトの詳しい事情は分からないが、少なくともキャスでおすすめ上位に載る為にコメントの多さは重要なのである。
その枠の盛り上がりを推し量るのに閲覧数を使うのも1つの指標ではあるのだが、より視覚的に分かりやすいのはその流れる速さと多さがはっきりと分かるコメント欄である。極端な例だが同じ閲覧数5万の枠が2つあったとして、1時間以内に流れるコメントの数が100と3000では後者の方が見映えが良く感じてしまうものである。
更に言えば同じ人や数人だけ書いているコメント欄よりも、数百人が書いているコメ欄の方が初見の人のコメントを書く難易度はかなり下がる。自分以外のコメントが多いと自分が書いた分が自然と目立たなくなるからである。コメントを書きやすい環境は、より多くのコメントを呼ぶという良き循環を作るのである。
よく「面白い配信をすれば自然と閲覧数やコメントは増える」という意見を聞くが、そんなものはある種の詭弁である。そもそも「面白い配信」というものは究極的に言えば、それぞれの個人的趣向に基づく主観的なものである。仮に万人が認める「面白い配信」というものが存在するならば、配信者もそれを忠実に再現すればいいだけの話であり、数多の配信の内容はもっと画一的になっている筈である。
しかし、蓋を開けてみればある程度の傾向やトレンドはあれど、多種多用な配信が色々な所で為されている。そもそも「面白い配信」という具体的なようで実際は抽象的なものを簡単に再現出来るなら、誰も苦労しないのである。
もう一つ付け加えるとすれば、我々は常に配信を含めたそのコンテンツの面白さを自分で判断出来るとは限らない、という事を留意する必要がある。本当に全て自分の感覚だけでそれらを確かめて面白いつまらないを判断するのが最善だとは思う。だが、我々の持っている時間は有限であり、コンテンツ過多と言っても差し支えないこの現代の中でそれは不可能に近いと言ってもいい。
その時に我々はやはり、そのコンテンツの売上や人気度を分かりやすく簡単に示してくれる「数字」に頼るのである。配信でいうならばその枠の登録者数や最大同時閲覧数、そして其処で表示されるコメントの数で人は簡単に、面白さを測ろうとする。そっちの方がより手軽で確実そうだからである。逆に閲覧数もコメントも少ない配信はそれだけで、つまらないものという烙印を押されてしまう。
また、配信者にとってコメントはそれだけで1つの応援の形である。その枠のコメントの有無で、配信者のテンションは大分変わるものである。コメントが増えれば俄然やる気が出るし、逆に少なければどんどん気分が落ち込み自信を失ってしまう。
人によるが、筆者はアイテムを投げられなくてもコメントを書いて貰えれば、それだけで嬉しくなってしまうタイプである。勿論、アイテムも欲しいが少なくともコメントを書いてくれているという事は、配信に積極的に参加してくれているという何よりの証である。そういうリスナーは筆者に限らず、配信している人にとっては非常に有難い存在なのである。
結局筆者にとってコメントというものは、ある意味アイテム以上に必要で大切なのである。ただ筆者が一方的に喋るだけなら動画でも充分である。配信に参加してくれるリスナーとの双方向のやり取りがあってこそ、初めて配信は成り立つと思っている。コメントが要らない配信なんて、それこそ配信ではないと言ってもいい。だから筆者は、これからもコメントに頼っていく所存である。