今年もこの時期がやってきた。1年に1回、本当の意味でpersonalな言葉と意思を吐き出す事を自分に許した日に更新する記事、このブログが生まれた「4月20日」の為に書く文章を作る時が来た。
このブログを開設した2018年4月20日から、4年の時間を掛けて筆者を取り巻く状況は大きく変化した。今の自分がブログだけでなくツイキャスやYouTubeにも手を出して、頭を悩ませながら試行錯誤しているのを、4年前の自分はきっと想像出来ていないだろう。
去年の今頃から思い返すと、外さずにいられない事柄はやはり配信である。既にツイキャスで配信を始めてから1年以上経つが、ブログとは性質の異なる難しさを感じさせられている。正直言って何度も心を折られかけた。
配信は、他者の存在を否が応でも意識せざるを得ないコンテンツと言える。筆者が利用しているツイキャスに限らず、どの配信サイトもそのシステム上、視聴者が多い枠ほどより人目につきやすくなっている。逆に言えば筆者のようにゼロから始めた者にとっては、其処から見てもらう人を増やすのは至難の業である。
ある程度時間をかけて運営すればPVを増やせる可能性がある分、まだブログの方が良心的である。しかし、それなりの視聴者や彼等から貰うアイテムが無ければ、その配信の成長性はまず無い。自分だけの頑張りだけでは絶対に超えられない壁があるのが、配信の残酷な一面である。
そして、大抵の人間は盛り上がりの無さそうな配信には見向きもしない。立ち寄ってくれる者も全てが良心的な訳ではない。冷やかしのコメントだけ残してすぐいなくなるのはある意味良い方であり、アイテムも投げずコメントもしない、配信には参加せず黙って見ているだけ。且つ、こちらの配信には其処まで熱心という訳でもない非常に中途半端な立ち位置の視聴者が、一番筆者の神経を逆撫でさせた。ひたすら監視されているようであり、しかもこちらにメリットが全くないというおまけ付きの不愉快さを味わうからである。
昨今では沢山の同接を集める配信者やvtuberが注目されるが、実際の所はピラミッドの頂点付近ばかりに目を向けているようなものである。配信を始めて数十人でも見てもらえる所ならば、それだけでも上位の層に入れる余地があるのだが、そういう枠ですら評価されない風潮が散見されているように感じる。
此処迄不平不満をぶちまけたような事しか書いていないが、それでも配信をまだ続ける気持ちが維持出来ているのは、筆者の枠に来てくれたりアイテムを投げてくれる人達が居るからである。例え、それが彼等の一時の気まぐれによるものだったとしても、また少しだけでも続けようという気持ちが湧き起こってしまうのだから、我ながら単純だと思う。
来年の今頃はどうなっているのだろうか。ブログや配信にYouTube、これらに少しでも満足出来るように頑張れている自分がいれば良いと願わずにはいられない。
2022年3月24日