生きる為にはお金が必要だ、何かをする為にはお金が必要だ、そんな事を分かってはいるけれど、分かっているからこそ目の前に広がる現状に、拳をぶつけたくなるのである。
もうずっと前からだろうか、本や音楽などと言ったコンテンツと呼ばれるものたちが、オワコンとか斜陽産業とか見下されたような物言いを、されるがままな気がしている。あの有名な雑誌が休刊になったとか、何処ぞのエロゲブランドが潰れて無くなったとか、景気の悪い話が蔓延っていることが、もう当たり前を通り越して不感症のように感ぜられてしまっている。
今はSNSというものがあるので、第一線で活躍するプロから無名のアマチュア迄、個人や組織という隔たりを超えて様々なクリエイター達が宣伝に力を注いでいる。凄い時代になったと思う。各々が気になっているクリエイターの活動を、素早く確認出来るようになったのだから。
お陰でより多くのクリエイターを知り、彼等の作品を味わうきっかけが増えたのは良いことだとは思っている。少なくとも、そうなることを望んでいる自分が確かに居た筈なのである。ところが今では、時々それらが逆に重荷になってしまっていると、思ってしまうことがある。もう、筆者は自分が好きなコンテンツ全てに最大限のお金を、惜しみなく出すことが出来なくなってしまっている。
筆者は、「自分が良いと思う作品の作り手には、少なからずお金を出すべきだ」と思っている。だから、作品を手に入れる時は必ずお金を出したし、時に彼等に関連した有料のサービスも利用してきた。しかし、ここ数年は注目しているコンテンツが一気に増えていき、全てを完璧に追いかけることが段々難しくなってきた。
そして、注目するコンテンツが増えるだけ、それにかけるお金もまた比例して増えていく。1つ1つにかける労力が減り、広く浅くが当たり前なっていくのに大した時間はかからない。加えて自分の使えるお金の限度は変わらないのだから、純粋に楽しむことが難しくなってくるのである。
自分の余裕さえ賄えない人間が、赤の他人の生活の為に彼らの作品にお金を出すなど愚の骨頂かもしれない。しかし、筆者は他に何もない人間である。周りの人間より、何かしらの生きがいを見出すことが得意ではない。この世で生きることを何とか受け入れられているのは、それまで出会ってきた作品が自分に色々なものを与えてくれたからである。言い過ぎなのかもしれないが、他に適当な言葉が見つからない。
多分、筆者は自分が悔しくてしょうがないのだと思う。自分が好きなコンテンツを、満足に楽しめなくなってきている今が憎いのである。そして、この愛すべきコンテンツたちに対して、自分が出来ることが殆どないということが、非常に悲しいのである。だからせめて、筆者はこの気持ちを忘れないように、此処に残しておこうと思う。